レターポットを通貨的な側面から考えてみた。
本題に入る前に少しだけ、昔の話を。
今から約15年前。
それまでに一度も日本から出たことのなかった僕は、イタリアに人生で初めての留学をした。
いやスミマセン。させてもらいました。
家族に見送られた飛行機が日本を発ったその瞬間から、体験したこと全てが“初めて”だった。
やたらと多い外国人、
驚く程長い搭乗時間(ちなみに当時の僕の最長は2時間、この時は14時間)、
乗り継ぎのフランクフルトでのドイツ語ラッシュ、…等々。
そしていざイタリアの地に降り立つと、
それまでにあった“初めて”は、まぁそれはそれはかわいいほうだった。
当たり前だが、すれ違う全ての人が外国人、
見たこともない建物の数々、
理解の外にある文化(これは住むにつれてだんだんと味わっていくのだが)。
ちなみに当時の僕は、これから1年以上も過ごすこの地の言葉を、全くと言っていい程勉強していかなかった。
だから、“ここで今、自分はコミュニケーションを取る方法をほぼ持ち合わせていない”という壁の中で、これまで体感したことがない“自分のポンコツ感”も味わった。
そして、ようやくここからが今回の記事の本題でもあるのだが、
僕が住んでいる間に味わった、もう一つの“初めて”。
それは、『通貨』。
まぁ初めてとは言いつつも、
“ユーロ”というそいつらが存在していることは、テレビや新聞で知っていた。
言い換えれば、初めて見るその紙幣やコインで物が買えることを“知って”いた。
例え人生で一度も使ったことがない『通貨』でも、当時の段階で20数年生きた僕は、その価値を知っていたし、それに対しての信用があった。
なぜか。
それは、その『通貨』が価値を持ち、信用の代用品として成り立っている世界を、見て、知って、その世界で生きてきたから。
一方で、『レターポット』はどうか。
仕組みや成り立ちについては、他に説明が上手な方々がたくさんいるので、ここでは『レターポット』を『通貨』としての側面から見た場合の見解を書こうと思う。
結論から言うと、レターポットは今この世の中に出回っている円やドル、ユーロ等に似た、『通貨のようなもの』であると同時に、円やドル、ユーロ等が持ち合わせていない“別のスペック”を搭載することで、それらとは一線を画した、
『新しい世界の新しい価値』
だと思う。
※ちなみに15年前の僕にとって、
イタリアという国は『新しい世界』だし、
ユーロという通貨は『新しい価値』だった。
通貨は、当たり前だが円はドルに、ドルはユーロに、ユーロは円に換金できる。
それは、良くも悪くもそれらが“通貨でしかない”から。
レターは、円はもちろん、ドルにもユーロにも換金できない。
というか換金や交換を目的としていない。
じゃあ何が『通貨のようなもの』なのかというと、レターポットの世界にいる人たちが、レターが価値のあるものだと認識していること。
1万円札を作るのには22円ほどかかるが、
1万円札を使う僕らは、それに1万円の価値があるという認識でいる。
それと同じように、レターポットの世界では、レターの価値が“少なくとも”1レター5円の価値があると認識されている。
ここで“少なくとも”と書いたのは、レターが文字通り文字だから。
文字は言葉にすることで意味を持ち、意味を持った言葉は、お金では表現できない価値を持つ。
こういった、多くの人たちがその価値を認識しているという点で、レターは『通貨のようなもの』と言うことができると思う。
次に、レターが搭載している“別のスペック”とは何か。
※これが換金や交換を目的としていないということに繋がると思っている。
それは、
『ありがとうやおめでとうを伝える、あたたかみがあって、それに時間が費やされていることが見える贈り物』
…長いな。
贈り物をもらった人は、お金には換金しないし(しちゃう人もたまにいるけど)、“ありがとう”、“おめでとう”って気持ちで贈り物をあげたんだから代わりに何かちょうだいよ、っていう人もなかなかいないと思う。
レターは換金や交換を目的としていない
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贈り物は換金や交換を目的としていない
ということだと思う。
先ほど書いたように、まだ始まったばかりのレターポットの世界にいる人たちは、レターの価値を知っている。知っているから、送られたレターの総数からどのくらいの価値があるものをもらったかが分かる。
そして、その世界にいる人たちはみんな人間だから、文章を読むことで、どれほどの想いがその文章に込められているのかが分かる。
文章を作るには、しっかりとした時間が必要なことも知っている。
しかも、レターは贈って終わりではない。
例えば僕があなたに1000レター(5000円分)のありがとうの文章を贈ったとする。
すると、1000レターをもらったあなたは1000レターを他の誰かに贈ることができる。
つまり、僕はあなたにありがとうという価値のある贈り物を贈ることができる。
あなたは1000レター(5000円分)の価値を込めて誰かに想いを伝えることができる。
誰かに感謝される。
5000円を支払うことなく。
レターは、想いも、あたたかさも、価値も含んだ贈り物。
そんな風に言えるんじゃないかなって思う。
このようにレターは、『通貨のようなもの』でありながら『贈り物』であり、『贈り物』であるから人の気持ちをあたたかくすることができる。
そんなツールだと僕は考えています。
あと、『運営が儲かるだけじゃないのか』みたいな意見も見かけますが、そこに対しての僕の考えはこう。
円でレターを買っているのではなく、
円をレターに換金してもらっている。
まぁただでさえここまで多くの人が共感できるサービスなのだから、利用料的な物はあって当然。
ちなみに、レターを贈るためにはサービス内にある“便せん”を使う必要があって、それを使うためにレターが必要なんだけど、僕はそれをクソ安い利用料だと思ってる。
最後に、僕は決して全てをレターポットの世界に移行したほうがいいと言っているわけではないです。
円を使う世界がある。
ドルを使う世界がある。
ユーロを使う世界がある。
それと同じように、
今、『レターを使う世界』もできたんです。
新しい世界の新しい価値は、今もどんどん変化しながら成長しています。
ちょっとだけでも覗きにきませんか?
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読んでいただきありがとうございました。
ここまで長々書かせてもらいましたが、体験に勝る説明はないと思いますので、この世界を感じてみようと思ってあなたがレターポットを始めた時は、簡単でいいのでこの記事の感想を僕のtwitter(@kuroshishiro)に送ってみてください。
まずは僕が、あなたに感謝のレターを送ります。
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