その手は何の、ためにある。


僕には、とても有り難いことに右手も、左手もある。

これまで数え切れないほど何かを掴み、何かを支え、何かを離し、時に何かを傷つけてきた。

僕はいくつになっても、ふと自分の手を見て思う。


『今、この手は何を掴むことができるだろう』


って。

少し話は変わるけど、人はおそらく誰しもが、その人自身がベースとしている環境を持っている。

同じ場所、同じ道、同じ人。

多少の変化はあれど、あると思う。

ただ、人それぞれがその人の環境を持っていて、こんなにもたくさんの人がこの世界にはいるから、「新しい世界」、「自分が知らない世界」は結構身近にあって、その人の気持ちが少しいつもと違うベクトルに向かうだけで、以外に傍で出会えたりもする。

新しい世界に出会うと、自分の世界が広がったように感じる。

その新しい世界が自分にとって心地良かった場合、より広がった「自分の世界」を、とても満喫出来ているように感じる。

今正に僕はそんな感じなんだけど、ふと立ち止まって考えてみる。


『その世界の心地良さを手に掴んで満足しきっていないか』


確かに、今僕がこの手で掴んでいる世界は、とても心地良い。

でも、この手は、掴むだけがそのスペックではない。

その手(腕)を大きく広げれば、何かを体で受け止めることが出来る。

右手に左手を添えて、何かをすくうことが出来る。

壁に両手を当てて、背中で何かを支えることも出来れば、握りしめて意志を強めることも出来る。

自分自身が誇りだと思っている男に背中を押され、今日この文章を書くことも出来る。



『この手は、可能性だ。』



僕はこの手と、この命で、
これからも僕の世界を創ってく。

kuroshishiro's feeling

染めて黒、染めずに白。

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