Dear Kobe Bryant.

[これは、今日という日を記憶しておきたいためのもの]


1月27日月曜日、昨晩遅くまで仕事だった僕は、タイマーでセットしておいたテレビの音で目が覚める。


テレビから聞こえる声。


「NBAで〜」


その言葉に反応する。


1993年から見続けているアメリカのプロバスケットボール、NBA。それから今でも見続けているNBAの好き具合は、まわりが見ても引くほどのもの。ともにバスケ部を過ごし、ともに深夜に放送される試合を、眠い目をこすりながら見てきた弟をしても“異常”と形容されるほど。


そして続けてテレビから聞こえてくる声。


「NBAで数々の記録を打ち立ててきたコービー・ブライアント氏が〜」

※この後の言葉も覚えているけどどうしても自分でその文字を打ちたくない


『嘘だろ!!』


僕は飛び起きる。


テレビの画面に目をやり、片隅にその事実が書かれていることを見つけ、その瞬間人生で味わったことのない感情に襲われる。文字通りに襲われた僕は、それからしばらくの間ベッドの上から動くことができないでいた。


信じたくない。


認めたくない。


夢であってほしい。


ただその思いだけが延々と僕の頭を巡っていた。


彼と一つしか年齢が違わないこともあって、テレビ越しとはいえ彼が17歳の頃からそのプレーを見てきている。


ルーキーシーズンの荒削りだが自信に満ち溢れていたプレイ、プレイオフ・ジャズ戦で幾度となくエアーボールになりながらも打ち続けたシュート、その時代最強の選手だったマイケル・ジョーダンの事を誰よりも認めながらも決して負けは認めていない目、そのジョーダンを越えるために試合中でもそれ以外でも貪欲に学ぼうとする向上心(時にジョーダン自身にさえも教えを請う程)、何度打ちのめされてもその度にその壁を楽しんでいるかのような笑顔、どんな窮地に立たされても折れなかった自分自身の力を信じる気持ち、どんなに「空気が読めない」と言われてもこだわり続けた勝利への熱意、自分とチームが進化するために変化を受け入れる柔軟性、度重なる怪我でさえ折ることができなかった“彼らしさ”、これらが全て詰まっていたかのような引退試合、



彼はずっと、“コービー・ブライアント”であり続けた。



彼が彼であり続けた数え切れないほどのシーンの数々が思い浮かんでは消えていく。


大袈裟でもなんでもなく、彼がいなかったら今の僕は今の僕に辿り着けていなかったと思う。


会ったこともない、国も違う一人の男から本当に多くのことを学んでいた事実を、僕は今朝ひしひしと感じていた。





気がついたら、僕は泣いていた。





僕はこの日のことを生涯忘れることはないだろう。


彼への思いが褪せることもないだろう。


けれど、“今日という日”に生きる僕が今日に思いを馳せることは今日しかできない。


そんな思いを、仲間に送るはなむけの言葉として残しておきたくて今書いている。


思えば、僕がNBAを見始めた1993年、僕のアイドルは圧倒的にマイケル・ジョーダンだった。ただ、今もなお魅了され続けている“NBA”という世界において、最も長い時間追い続けた男は間違いなく“コービー・ブライアント”だ。彼の成功も失敗も、僕が出来る限りの範囲ではあるけど見続けてきた。


今でもマイケル・ジョーダンが僕のアイドルであることに変わりはない。


じゃあ僕にとってのコービー・ブライアントとは何か?


さっきも書いたように彼と一つしか年が違わない。

さらに、同じ8月生まれということ、僕が現役時代に着けていた背番号も8なこと、そんなことから、僕は彼のことを圧倒的勝手に仲間だと思っている。


僕がプレイするバスケットボールも、

僕が語るバスケットボールも、

その大半は彼が教えてくれた。


僕にとって、

“コービー・ブライアントこそがバスケットボール”だ。


Thank you Kobe.


Thank you Mamba.


Thank you number8.


Thank you number24.


Thank you for your everything.

kuroshishiro's feeling

染めて黒、染めずに白。

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